さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

再生可能エネルギー

子供も大人も、老いも若きも、愚者も賢者も、紫陽花革命に集う。デモに自由に人々が結集するそのことのなかに社会が実在し、デモを自由におこなうことが社会の変化そのものだ。

7月になり固定価格買取制度が始まりましたね。再生可能エネルギー事業に資本を参入させることは大きな力となります。社会的制御を欠く資本の力が環境を破壊するとともに、現在不可欠の智慧は制度的方向付けにおいてこの力を利用する戦略です。

http://bit.ly/N9wsIm(毎日新聞)

安全な環境をつくるという公共的目的のために、社会的生産の力を集約している私的諸資本を参加させるのです。再生可能エネルギーの政策的な開発は、現在貨幣の力の有意義な発揮を土台にして実現するほかはありません。われわれの共同体は疎外され貨幣として実在するのですから。再生可能エネルギーへのシフトは、安全で安心しうる環境をえようという国民的合意によって生産過程に国民的介入を行う試みであり、諸個人の生活の安全な基盤を計画的につくりだす試みにほかならない。この買取制度もこの人類史的試行錯誤のなかで有意義に作用してほしいものです。

大島堅一がこの制度の肯定的な可能性についてつぶやいてました。紹介しているレポートは読んでないですけど。

http://twitter.com/kenichioshima/statuses/60618432705601536

風やら水やら土やらからエネルギーを得るというと、なにか歴史に逆行しているかのような印象をもたれる人もいるでしょう。けれども、たぶんちがいます。

作業機は……しばしば馬などによって運動させられ、もっとまれには不安定な風力によって運動させられました。しかしだんだん水が利用されるようになりました。けれども、水力の使用もさまざまの不便と結びついていました。こうした不便は蒸気機関の発明によってやっと取り除かれました。そこで工場の所在地はもう、激しい水流という立地に縛られていることがなくなりました。それまで既存の自然事情に依存していた動力の程度が、その後はまったく人間の統制に服せられ、それからは同じ動力機できわめて広範囲にわたる伝導装置ときわめて多数の作業機とを駆動することができるようになりました。
(ヨハン・モスト原著、カール・マルクス加筆・改訂『マルクス自身の手による資本論入門』大谷禎之介訳、大月書店、2009年、90頁)


資本は労働過程を包摂し、協業、分業という労働の社会的組織化を実現します。しかしそれは資本にとって限界となり、変革は労働手段の変革に旋回します。「産業革命」ですね。

発展した機械は、原動機、伝導機構、道具機/作業機という3つの部分からなっていて、産業革命を導いたのは、このうち道具機の発展です。道具機は労働対象を変化させる部分。道具が機構化されて道具機に転化することで、労働手段は「人間の器官の数と規模」から解放され、それが独自の伝導機構とふさわしい原動機を獲得する。

道具機/作業機を運動させるための動力の源としては、気まぐれな馬や、不安定な風ではなく、安定した燃焼を利用した蒸気機関が、安定的に制御できどんな道具機にも適用できる汎用的な原動機をなすものとして定着します。これにより工場が動力のために川の近くになければならないといった場所的制約も資本は解除。

このことは、発展した社会的生産であれば必ず蒸気機関を動力機として用いるものでなければならないとか、蒸気機関による生産を大工業と呼ぶ、という意味ではありません。水力や風力から蒸気機関へと動力の歴史的流れからみると、再生可能エネルギーは過去への復帰にみえますが、それは皮相な見方というもの。

再生可能エネルギーの利用はじつに高度な制御能力を求めるのであり、これも蒸気機関同様に科学の適用による協働という場面のなかでの技術の具体的姿態です。再生可能エネルギーの利用もまた、人間に対して疎遠であった自然が、その潜在的な人間との同一性を科学として顕在化し、技術形態として新たな形態をとることです。
by kamiyam_y | 2012-07-03 03:27 | 成長主義と環境