さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

権力と新聞:高田昌幸『真実 新聞が警察に跪いた日』によせて

NHKでたまたま歌舞伎「勧進帳」を観たんですが(にっぽんの芸能 芸能百花繚乱「徹底解剖!勧進帳」)、弁慶を止める関守・富樫左衛門がとてもかっこよかった。張りのある声で繰り出される文語のリズムにほれぼれしました。市川海老蔵。プライベートに何があってもどうでもいいですよね。別に彼だけじゃないですけどさ。

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憲法記念日の頃読みました。

高田昌幸『真実 新聞が警察に跪いた日』(柏書房、2012年)。(紀伊國屋書店BookWeb丸善&ジュンク堂Amazonhontoネットストア

前線で活動する新聞記者の苦闘を伝え多くのことを考えさせられるとともに、読み物としても秀逸。ですが、ここでは民主主義論のテキストとして紹介してみたい。「メディアと公権力」「国家権力組織と報道組織」「組織と個人」といった本質的な主題を考察する恰好の素材です。

警察裏金問題において北海道新聞が果した大きな役割は関心のある道民なら誰もが認めるところであり、道新がその後方向転換してしまったこともよく知られているといってよいでしょう。その取材班の代表を務めた著者が今再び訴えています。

北海道警察の裏金問題は、旭川中央署の捜査報償費不正支出疑惑をテレビ朝日の『ザ・スクープ』が2003年11月に報じて火がつき、2004年2月には元釧路方面本部長の原田宏二氏が裏金づくりの組織的実態を記者会見で証言するなどして、深化・拡大。

北海道新聞は地方の公権力の不正と対決し組織的裏金づくりという実態を暴いていきます。市民の崇高な武器としての報道の力が発揮された瞬間のように思えます。記者たちがどれだけの精力を注いだかは、2003年11月から2005年6月の間になんと1400本以上もの記事を掲載したこと(13-14頁)に示されています。この「調査報道」の一部分は講談社の文庫本『追求・北海道警「裏金」疑惑』で読めます。

地域権力の根深い不正の実態と向き合いそれを丹念かつ精力的に解明しようとする取材班の格闘は大変高く評価され、2004年に日本ジャーナリスト会議大賞、新聞協会賞、菊池寛賞の三賞を受賞。

ところが事態は反転してしまいます。地元捜査権力を対象としその不正を調査し公開する道新の姿勢は崩れてしまう。これを象徴するのが2006年1月の「お詫び社告」掲載でした。

この屈服がどのようにもたらされたのか。この敗北が何を契機としてもたらされたのか。あるいはどこで足下を掬われたのか。

本書は背後に進んでいた新聞社幹部と警察元幹部の裏取引、「和解」交渉の過程を明らかにしています。しかも、この道警元幹部が自ら裁判所に提出した文書を用いながらです。

この「和解」取引において道新内部では幹部よる記者への締め付けが行われ、これに対し記者たちも抵抗。この経緯を著者は生き生きと描きだしており、一気に読まされます。新聞資本の組織の力がその内側の諸個人を分断し抑圧するように用いられていく。これに対して、記者たちは死守すべきものを死守しようと闘う。

諸個人の社会的自由の発展において、かれらによる権力への制御の試みは基盤をなすともいえ、報道による権力監視はその大きな武器として機能しなければなりません。

諸個人に対して、かれらに先だつ既成の怪物として聳え立つ共同体-権力は、この全体主義的契機において、人民主権という現代の根本的合意が自らに浸透してくるのを防ごうとします。あるいはそのような不断の傾向におかれているといってよく、公共物を自称する力は、人民主権という建前の裏側で自立を果そうとします。しかしこの自立も偽のもの。主体は諸個人です。

しかも、公権力の由来として想定される現代の諸個人に対して、権力は自らの中身をかれら諸個人ではなく、かれらから自立したかれらの共同の力、つまり資本に依拠しますから、これまた権力は個人抑圧的に作用し、人民主権的理念の契機から逃走します。

しかし主体は諸個人なのですから、公を自称する自立態はかれらの批判の対象となります。権力が人民の下僕であるという理念が実在的となるのも、諸個人のこうした不断の自覚的営為によってでしょう。諸個人のこのたえざる社会的覚醒において、メディアもその存在意義を実現しなければなりません。

とはいえ、メディア自身また資本のシステムという生態系で生育し、貨幣を栄養としながら生きています。メディアにとって貨幣が組織と報道を支えると同時に、貨幣の支配力がまたメディアを押さえ込む。でしょ?権力に頼った安上がりの金銭第一主義的報道が、メディアの瑞々しく躍動的な批判精神を枯れさせてしまうように。

さらには、諸個人を抑圧する権力とメディアがもたれあい合作しメディアが権力の手足となるのは過去の話ではないですよね。ファシズムの芽はいつでもそこにある。

公開的であるべき権力が非公開的であることはまたそれゆえにメディアの意義を生みだしています。権力の閉じた存在に対して、メディアは真実を明かすべく調べ歩き考え、諸個人に対して重要な事実を公開していく責任を負うわけです。批判的取材報道を支える現実的力はたえず存在するはずですし、敗北に終らないメディアの使命が生きているはず。

丁寧に取材し調べあげ報道し「権力の監視」を遂行するメディアは諸個人の力であり、その復権は現在の切実な課題の1つです。

道警が執拗に抗議をかけてくるきっかけとなった「泳がせ捜査失敗」記事についても、本書は当時の記事内容が捉えきれていなかったその隠されていた全貌を、稲葉圭昭氏の証言から復元しています。驚愕すべきこの事件については、稲葉圭昭『恥さらし 北海道警悪徳刑事の告白』(講談社、2011年)、佐藤一+取材班「元敏腕『悪徳刑事』が激白!北海道警の闇」(『週刊朝日』2011年12月9日号)が理解を補強します。あわせて一読を。

で、高田さんは今高知新聞なんですね。

http://newsnews.exblog.jp/17904704/

高知新聞を買うかな。

TBSラジオの「DigTag 青木理のニュース侍」で本書が紹介されたようですね。紀伊國屋書店札幌本店で高田氏、青木氏、原田氏による刊行記念のトークセッションも(3月28日)開かれたよう。you tubeを検索して知りました。

http://www.youtube.com/watch?v=ZK9Qva-yc5Y
http://www.youtube.com/watch?v=QtY5M4_P3t8

そういえば本書を買ったのは、紀伊國屋だったな。
by kamiyam_y | 2012-06-23 00:58 | 民主主義と日本社会 | Trackback | Comments(0)
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