さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

原発利権の解体を(補足)

環境というのは単なる天然物だけではなく社会的な環境ともいうべきであって、「自然災害」を押さえるのも拡大するのも社会的な構造として現れる労働の発展の問題に帰着します。環境とは社会に無縁な天然の自然ではなく社会的労働を通じて対象となっている、いってみれば社会的に存在する環境にほかならず、「自然災害」の被害のありようは社会的な構造に依存するというべきでしょう(自然の威力がいかに人災に転化するかをこのうえなく悲惨な形でいま私たちが経験しているのはいうまでもない)。

『日刊ゲンダイ』4月1日号(31日発売)で水門と防波堤によって津波をくいとめた岩手県普代村に関する記事がありました(5面)。

確かに地震の被害からは逃れられず漁港も壊滅してしまっている(東日本大震災:原形とどめていた「番屋」 岩手・普代村 - 毎日jp(毎日新聞))のですが、あわせて335メートルの防潮堤と水門がその内側を津波による破壊から救ったというのです。

普代村の広報586号が歴史的経緯にも触れていて参考になります。

普代村役場HP広報ふだい>No586・23年3月号

高さ15.5メートル、総延長130メートルの太田名部防潮堤と高さ15.5メートル、総延長205メートルの譜代水門が機能した(「住民守った防潮堤、水門」6頁)というんですね。

社会的労働を必要な場所に投入した、住民の命を守るための社会的コストを削減しなかった結果といえましょう。

災害としておそってくる自然の猛威に対して、人々の安全を守るために自然法則を味方にして自然を変革する。この変革が出来るように、この変革にもとづいて猛威に対処できるように社会的な人間同士のつながりのしくみをつくる。

環境というのは人間諸個人にとって彼等自身から区別されながらも彼等自身の延長であり、諸個人は、猛威として現れる自然を、社会をつくりながら、諸個人に親しい、彼等を支える自然へと変革する実践を行ってきました。環境づくりの実践は労働する諸個人がその相互関係を自身の延長として結びあうなかで行う共同的で社会的な活動にほかなりません。

人間労働のこの社会的自覚的性格を「災害対策」「安全管理」に最大限に発揮していかねばなりません。諸個人の労働を人間にとって必要な環境づくりに理性的に配分する社会状態の成立は人類史的課題であり、この課題が「災害対策」問題を貫いています。現代の問題はすべてその解決のために社会的労働過程に対する統一的で有機的な協同的管理を求めています。強調されねばならないのは、諸個人による環境づくりそのものを自然発生的な状態に委ねられたものから理性的で社会的、自覚的なものへと変えていくことが諸個人の命の安全という根源的欲求を実現するためにいまこそ必要不可欠であるということです。

災害対策にとどまらず自然環境保全のためにも計画的な人口集中、街の物理的・社会的構造の変革は必須の基本的条件といわねばならないのであり、ノーマライゼーションの実現のためにも、社会保障の高度化のためにも計画的空間編成が基礎になることはいうまでもないでしょう。居住環境づくりは総合的社会化・計画化の一環としてなされねばならず、この総合的計画化は、諸個人が社会的生産を統一的で有機的な計画性において管理していくことを意味します。諸個人が社会的労働の生産力を民主的、自覚的に支出することがまさに現実的な課題として浮上しているんです。

maps.google.co.jp岩手県下閉伊郡普代村

政官財学の利権共同体による原発推進にはGE(ゼネラルエレクトリック社)という巨大資本も加わっていますし、核兵器管理も米国の核戦略も絡んできます。むろん、現在の民主党連立政権にも責任がありましょう。原発批判の旗は貨幣の権力によって降ろされたままなのですから。政権離脱した社民党が管に脱原発の申し入れをした(福島みずほのどきどき日記 脱原子力と自然エネルギーへの政策転換を求めて菅総理に)のももっともというべきです。


昨年5月26日の衆議院経済産業委員会
で吉井英勝(日本共産党)の質問に対して直嶋正行経済産業大臣が「輸出する相手方の国で事故が起こった際の影響については、経済産業省としてそういったアセスメントは行ってません」なんて答えているんですよ。

売っておしまいでは社会的責任を果すことにはならない。傘下の私的生産諸資本が製造物製造責任をはじめとして安全なものを売る責任を担い地球的生産過程において生産の社会性を曲がりなりにも自覚的に遂行しつつある現在、国家機関であれば生産の社会的責任が免除される、なんてことはもちろんあるわけない。販売のための販売という無政府的成長を力強く代弁するこの人物の姿は、国家の本体とは、販売としての販売をその過程に含む資本の蓄積のための蓄積だったという真実を示しています。

吉井氏は経済産業大臣のこの発言を原発事故が起きた場合の「放射性物質が日本へ飛んでくる影響」に触れながら批判してます。

日本共産党 吉井英勝オフィシャルホームページ

社会的生産過程が国境を越え有機化し、社会的原動機構の管理もまた諸個人の世界史的課題となっています。原発輸出先の諸個人にとっても、輸出元の諸個人にとっても安全な生活を保障される権利は同じであり、共通の社会的問題です。原発事故は国境を越えて人体に直接影響を及すだけではなく社会経済に打撃をももたらす。安全対策は国際的責任でもあります。生産・生活の基盤を原発利権に吸収されてきた諸関係を変え私たち自身のもとに社会的労働の諸力を奪還し、安全の確保を国際的に、地球の人民として協同的に実現していかねばなりません。

寺坂信昭原子力安全・保安院長はこの衆議院経済産業委員会で「日本の原子力発電所におきましては〔略〕多重防護の考えに基づいた設計がなされまして、それによって安全性を確保しているというところでございます」と安全性を断言して舌の根も乾かぬうちに「外部電源が全部喪失されて冷却機能が失われるということになりますと〔略〕長時間にわたりますと炉心溶解とかそういったことにつながるというのは、論理的には考え得る、そういうものでございます」としれっと答えている。この人物もまた「我亡き後に洪水は来たれ」という資本の精神をよく体現しているというべきか。

『日刊ゲンダイ』4月1日号「原子力安全・保安院のトップも姿見せず」(4面)は、吉井氏のサイトを紹介し、寺坂原子力安全・保安院長について炉心融解の可能性を認識しておきながら「その後何もしなかった。欧米だったら、大問題になって辞任である」と書いてました。

「日本政府とIAEAの合同対策本部を立ち上げるべきではないか」って河野太郎が述べてます(河野太郎公式サイト | フランスの意気込み)。この案の内容上の当否は別としても、自分たちだけで出来ないことをやろうとし同心円の避難エリアに固執する菅政権が、今からでも科学と国際社会の理性の声に従って行動することを願うばかりです。
by kamiyam_y | 2011-04-02 12:21 | 現代グローバリゼーション