さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

金融グローバリゼーションと「サブプライム」危機(3)

スタンフォードの博士課程を出てるので当然とはいえ、鳩山の英語の演説もなかなかでしたが。

第64回国連総会でオバマ大統領が演説しました。

<米大統領>地球規模の課題は責任分担を 国連総会で初演説 (毎日新聞社) | エキサイトニュース

オバマの演説は、昨晩NHK衛星第一の中継で観たんですが、見事というほかないかんじ。

内容も、「チェンジ」を世界レベルで訴え、国連中心の世界づくりを強調してました。国連の理念的な力と合衆国の実際的力とが結びつくなら、まさに人類社会づくりにとって大きな推進力になろうかと。

「人民の、人民による、人民のための」という言葉も用いられ、私たちが読み取るべきは、民主主義と人権を原理とする姿勢でしょう。「未来への責任」をともに果たしていこうという地球レベルのメッセージとして私は受け取りました。年末にコペンハーゲンで開催される国連COP15(気候変動枠組条約締約国会議)にも言及しており、民主党の25%削減の宣言とともに期待したいところです。国際的合意は社会的生産様式を鍛えあげる規制の役割を果しうるものですから。

オバマは国連ミレニアム開発目標(Millennium Development Goals : MDGs)にも触れていて、世界が人権の実現を課題としているという現在の中心点を理解していると思われました。MDGsとは、2015年までに189の国連全加盟国(2000年当時)が合意した目標。企業中心主義・国益中心主義の幻想性が暴露され、世界は新たな変革の時代に入っています。生きた人間を原理とする世界的変革の世紀に入っていることを国連の人権諸目標は示しているといえます。

ミレニアム開発目標(国連広報センター)

目標1:極度の貧困と飢餓の撲滅
目標2:普遍的な初等教育の達成
目標3:ジェンダーの平等の推進と女性の地位向上
目標4:幼児死亡率の引き下げ
目標5:妊産婦の健康状態の改善
目標6:HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延防止
目標7:環境の持続可能性の確保
目標8:開発のためのグローバル・パートナーシップの構築

人権と民主主義を単なる道徳や思考と捉えるべきではありません。資本主義システムが客観的につくりだしているその推進の条件でもあり、否定の条件でもある社会関係であって、いってみれば現実のなかの関係であり、現実(存在)から切断された頭のなかの「べき」(当為)ではなく、現実の矛盾を形づくる関係です。

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90年代以降急速に展開しているグローバリゼーションにおいて金融化が大きな推進力の1つであったことはいうまでもありません。

これを投機資金のグローバリゼーションとよぶならば、これは、グローバルな形で貨幣が《利子生み資本》として運用され、《架空資本》の蓄積がグローバルに行われることです。

「信用制度は生産力の物質的発展と世界市場の形成とを促進する」(『マルクス・エンゲルス全集25a』大月書店、S.457.)。

資本とは《貨幣→増大した貨幣》という、それ自体を目的にしてしまった貨幣であり、アリストテレスのいう「貨殖術」における貨幣です。貨幣という交換の道具が逆立ちして主人となり、すべてをその増殖の手段にしてしまいます。

この増殖は人々の労働における協同が否定されているがゆえになりたっていますから、これを、利己的な「投機」とよんでもいいかもしれません。ただし、生産的な投資こそが資本主義社会の基礎をなす産業資本の本質であるとすれば、「投機」とよぶのは産業資本ではなく、利子生み資本・架空資本における退廃的現象に限定したほうがいいのですが。産業資本という資本は、生産手段と労働力を買って消費することで価値増殖します。

産業資本の再生産過程が全体として前提されれば、貨幣はいつでも資本になれるもの、潜在的な資本です。資本であるという、価値増殖するものということが、独自の使用価値となった商品が、商品としての資本です。貨幣が独自の商品として価格がつけられ、売買されます。売買は貸付という形をとり、価格は利子となります。利子は資金の需給で変動しますが、もちろんこの価格は、価値なき価格であって、資本という商品は、抽象的労働を実体とする労働生産物である商品とはちがいます。

株式や請求書のように一定の収入を規則的に引きよせる権限は、そこに資本があるものと想像されます。この架空の資本として、これらの紙切れも売買されるようになります。マネーの膨張とは架空資本の蓄積です。

「われわれがこれまで貨幣資本および貨幣財産一般の蓄積の特有な形態を考察しできたかぎりでは、この形態は、結局は労働にたいする所有の請求権の蓄積ということになった。国債という資本の蓄積が意味するものは、すでに明らかにしたように、租税額のうちからある金額を先取りする権利を与えられた国家の債権者という一階級の増大以外のなにものでもない。このような、債務の蓄積でさえも資本の蓄積として現われることがありうるという事実には、信用制度のもとで起きる歪曲の完成が現われている」(『全集25b』S.493-494.)。
「価値表現から見ればその可除部分のそれぞれが一定の元来の名目価値をもっているこの想像的な富は、すでに前述のような理由からも、資本主義的生産の発展の歩みのなかで膨張して行くのである」(同上、S.494-495.)。

他人の労働を請求する所有の権限が蓄積する、債務が蓄積することが資本蓄積として現れるまでに、資本主義的生産は発展。

産業資本に対する貸付は、個別産業資本がその私的所有の狭隘さを超えていくための手段です。貸付を、貨幣の保管をしていたような資本が専門的に行うようになれば銀行業です。銀行は、社会の遊休貨幣をくまなく集めて、潜在的な資本としてその手に集中し、これを産業諸資本に貸し付けて運用するのであり、諸資本のなかの資本です。諸資本とならんで、貨幣―増大した貨幣という運動が形をとっています。

諸資本にとって共通の社会的資本が成立しています。ここにみるべきは、私的所有発展のためには私的所有を廃棄しなければならない、という私的資本の自己矛盾的な姿でしょう。

「信用および銀行制度はこのようにして資本の私的性格を止揚し、資本そのものの止揚をこうして即自的に、しかし即自的にのみ、含んでいる」(MEGA.Ⅱ/4.2, S.661-662.)。

株式とは、基本単位に細分化された株主の地位であり、まあ所有権です。この所有権の売買も、架空のものの蓄積をなしていきます。銀行は株式を集めて財産にします。

「この所有権の価格変動による損得も、鉄道王などの手へのその集中も、事柄の性質上ますます投機の結果になってくるのであって、この投機が労働に代わって資本所有の本来の獲得方法として現われ、また直接的暴力にもとって代わるのである。この種の想像的な貨幣財産が個人の貨幣財産の非常に大きな一部分をなしているだけではなく、また銀行業者資本の大きな部分をもなしているということは、すでに述べたとおりである」(『全集25b』S.495.)。

資本所有の源泉が労働から投機、ギャンブル、マネーゲームに移ってしまうことは、労働の産物(貨幣)が生きた労働を食い物にする逆立ち、疎外された労働が批判の対象として、ごまかしようがないほどにあらわとなることであり、労働にもとづく所有という、蓄積を説明するさいの正当化を近代的産業ブルジョアジーがますます失うことであります。

「いっさいの尺度は、資本主義的生産様式のなかではまだ多かれ少なかれ是認されるいっさいの弁明理由は、ここではなくなってしまう。投機をやる卸売商人が賭けるものは、社会的所有であって、自分の所有ではない。資本の起源は節約だという文句も、同様にばかげたものになる。なぜならば、彼が要求するのは、まさに他人が彼のために節約するべきだということでしかないからである」(『全集25a』S.455.)。

自分の労働を財産として蓄えた資本家が、欲望を抑えてそれを生産のために使った、この立派な節欲に対する報酬が利潤だ、という弁解も消え失せるわけです。投機は社会的資本を賭ける。

「……社会的資本の大きな部分がその所有者ではない人々によって充用されるからである。すなわち、これらの人々は、所有者自身が機能するかぎり自分の私的資本の限界を小心に考えながらやるのとはまったく違ったやり方で仕事に熱中するからである。」(『全集25a』S.457.)。
「成功も失敗も、ここではその結果は同時に諸資本の集中になり、したがってまた最大の規模での収奪になる。収奪はここでは直接生産者から小中の資本家そのものにまで及ぶ。この収奪は資本主義的生産様式の出発点である。この収奪の実行はこの生産様式の目標であり、しかも結局はすべての個人からの生産手段の収奪である。……この収奪は、資本主義体制そのものりなかでは、反対の姿をとって、少数者による社会的所有の取得として現われる。そして、信用はこれらの少数者にますます純粋な山師の性格を与える。所有はここでは株式の形で存在するのだから、その運動や移転はまったくただ取引所投機の結果になるのであって、そこでは小魚は鮫に呑みこまれ、羊は取引所狼に呑みこまれてしまりのである」(『全集25a』S.455-456.)。

資本の役割があらゆる個人から生産手段を取りあげ社会化することにあるとすれば、信用は、山師による社会的資本の収奪としてこの過程を進める。

ぺてんと詐欺が資本の源泉になるということは、生産していない資本による収奪が資本蓄積として現れるということです。

サブプライム危機においてあらためて発見されたのは、世界規模での金融的収奪でした。ブローカー、金融機関が非倫理的な過剰な貸付を行い、元の債権にたどりつけないような組成された証券化商品を売買し、この不透明性を補うべき民間の格付け機関もまた不透明であったという相互無責任の体制でした(高巌「金融危機で問われる企業倫理(経済教室)」『日本経済新聞』2008年11月21日朝刊、29面、参照)。米国の貧しい労働者に対して世界中の不生産的資本が高利貸しとして収奪し、相互に奪い合っているというのがゲームの中身であったといってよい。生きた個人の普遍的な尊厳のために社会的生産を用いることとは正反対の社会的生産の利用法です。

「信用制度が過剰生産や商業での過度な投機の主要な槓杆として現われるとすれば、それは、ただ、その性質上弾力的な再生産過程がここでは極限まで強行されるからである。そして、これが強行されるのは、社会的資本の大きな部分がその所有者ではない人々によって充用されるからである。……信用制度は生産力の物質的発展と世界市場の形成とを促進するのであるが、これらのものを新たな生産形態の物質的基礎としてある程度の高さに達するまでつくり上げるということは、資本主義的生産様式の歴史的任務なのである。それと同時に、信用は、この矛盾の暴力的爆発、恐慌を促進し、したがってまた古い生産様式の解体の諸要素を促進するのである」(『全集25a』S.457.)。

信用制度の発展は、社会的労働力と社会的生産手段、世界市場を資本主義がつくりだすことを促進します。再生産過程の弾力的な性質を媒介しますから。同時に信用制度は過剰生産の梃子となり、恐慌を促進します。

グローバリゼーションがつくりだしているのは社会的な基盤であり、この基盤を制御されない収奪に委ねたままでは持続可能的ではありません。米国の貧しい人々と世界中の金融機関とが不透明なマネーの連鎖によって結びついていることには、グローバルな連鎖が客観的につくられているという進歩性があります。しかし、このグローバルな連鎖がまさに人権に対立して市民社会を犠牲にしているという事実が明るみに出されたのです。

連鎖の暴走は、国際社会に対して協調することを強制しました。足並みの乱れは当然として、国際社会の対応の速さも注目に値します。金融世界市場は放任されるべき自動調整体なのではなく、迅速に国際協調の網を被せて規制して使うべきものだということが、国際社会の対応のなかに宣言されています。米国発の負の連鎖として地球規模での依存関係が貫かれたことが、反作用的に、国際主義的経験の前進を招かざるをえなかったというわけです。

社会的生産を真に社会的なものに、つまり生きた人間の普遍性(人権)に即した形で制御すること。問われていることは、自然成長的で人権に対立的で持続可能でないマネー膨張を抑えるために、資金の流れに対して、その公共性に即して制御するシステムをいかにして手厚く重ねていけるかということでしょう。大きな転換の時代です。人間のためのものではない持続不可能なグローバリゼーションを、人権主体のための持続可能なグローバリゼーションへと、グローバリゼーションの中身を変えていく転換がますますはっきりしてきているのではないでしょうか。「100年に1度」などというおとぎ話のような恐怖感とはまったく正反対の健全な前進が求められていることです。

冒頭に取りあげた失業について一点付け加えます。恐慌ではなくても、資本主義は労働者階級を現役労働者と相対的過剰人口(半失業・失業)とに分断します。産業循環はこの現役人口と過剰人口との割合を変えるだけで、つねに過剰人口がプールされています。この過剰はもちろん資本蓄積にとってという意味。中位の活況から繁栄の局面では、労働力が産業予備軍の貯水池から吸い上げられ、恐慌ではその逆となりますが、資本がみずから過剰人口をという手段をつくりだすことが重要です。

「せいぜいのところ、イギリスの貧困は、自由貿易か保護貿易かにはかかわりなく、沈滞期と好況期との交替につれて増減するということだ。それどころか、自由貿易の1852年でさえ、保護貿易時代の1837年よりも貧民救済費支出額は320,122ポンドもふえている。しかもこの年にはアイルランドの飢饉があり、オーストラリアの金鉱発見があり、また移民がたえず流出しつづけたにもかかわらず、である」(「貧困と自由貿易」『全集8』S.368.)。
「貧民労役所がからになったのは、自由貿易のおかげであり、もし自由貿易がなんの妨げもなしに完全に展開されれば、おそらく貧民労役所などはイギリスの土地からまったく姿を消してしまうだろう、と。ところが残念ながら、『エコノミスト』の統計によると、その証明しようとすることは証明できないのである」(「貧困と自由貿易」『全集8』S.367.)。

19世紀の「自由貿易」論は、今でいう新自由主義みたいなもの。市場原理主義です。新自由主義が不徹底だから失業が生まれるのだ、という立派な説は19世紀にも繰り返されていたのでした。(終り)
by kamiyam_y | 2009-09-24 18:14 | 現代グローバリゼーション | Trackback | Comments(0)
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