さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

金融グローバリゼーションと「サブプライム」危機(2)

▼ 国連開発計画(UNDP)『人間開発報告書2007/2008』から「教育への公的支出」を見てみました(人間開発指標Table11、二宮正人・秋月弘子監修、阪急コミュニケーションズ、301頁)。GDPに占める割合(2002-05年)と政府支出総額に占める割合(2002-05年)を少しだけ拾ってみます。北欧のノルウェーが、7.7%、16.6%、デンマークが、8.5%、15.3%。日本は、3.6%、9.8%です。北欧に対してだけではなく、英米に比べても低いです。米国 が、5.1%、15.3%、英国が、5.4%、12.1%。ちなみに、ニュージーランドが、6.5%、20.9%、南欧のギリシャが、4.3%、8.5%。教育に対する社会的支援の水準を示すと思われるこの数値ですが、先進国中日本は低いことがあらためてわかります。

教育を受ける権利は権利として平等であり、政府には保障する義務があるはずですが、ここにも官僚による縄張りと上からの産業育成という後進的なありようをうかがえる気がします。個人の人権から政府の義務が演繹されるのではなく、いきなり全体の論理から個人が統治の客体として位置づけられているような。

日本的格差社会の構造も、単なるグローバリゼーションの影響というにとどまらずに、こういうところにかなり大きな要因があるように思えます。企業による安易な賃下げ、首切りも働く人々の権利をどう制度的に保障し支援するかという視点を欠いた無責任体制。無責任は偽装請負をした企業だけでない。竹信三恵子『ルポ 雇用劣化不況』(岩波新書、2009年)はこの安易な対応によって変質した労働の現場を追跡していて、読み応えありました。

労働において労働の主人公である(=社会の主人公である)一人一人が成長する人間らしさ、人としての権利を支えることに、政労使が無関心であるという停滞したありようが、偽装管理職や派遣切りや偽装請負などに端的に示されるような、安易なコスト切り下げのための労働力の使い捨てを許している。

同時に、格差社会がこれだけ争点となったことには、日本の大衆の成熟を実感します。生存権のように、人権は、あらゆる人間に共通ですから(人権は人間の権利!)、様々な「貧困」的現象・企業中心主義的現象によって人権の実現を阻害されている他者の存在は、これを自分の問題として受け止め、怒りを共有することになりますし、労働において人権を侵害された個人は、それに抗議することが働く人々を中心とするすべての人にとって大きな意味をもつことを知っています。ワーキング・プアの存在が、正規雇用労働者にとっての幸福を拡げるなどと思う人がたくさんいた時代は過ぎ去りました。いやそんな時代ないですけど。

▼ フルタイム労働者ベースでも賃金の男女格差日本は大きいんだな。社会実情データ図録図録▽男女賃金格差

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岩井克人という人が金融危機に関連していくつか書いてました。

「(経済危機の行方 世界は)資本主義は本質的に不安定」(『朝日新聞』2008年10月17日朝刊3面)。
「金融危機と世界行方を探る(9)東京大学教授岩井克人氏(経済教室)終」(『日本経済新聞』2008年10月24日朝刊、27面)。
「サバイバビリティ―東大教授岩井克人氏、規制づくりは現実主義で(世界この先)」『日本経済新聞』2009年1月6日朝刊、 5面)。

貨幣が投機の純粋型、新古典派の実験は破綻、というのがだいたいの趣旨のようです。

たしかに貨幣を投機とよぶこともできなくはありません。そもそも資本主義の起点である商品流通は、エゴの衝突であって、結果として社会的生産が成りたつ、それ自体は無計画で無政府的生産ですから。人間が自分たちで協同して自分たちの社会的生産を制御できないのですから。単純商品流通において、売りと買いがばらばらになって、あるいは、生産と消費が一致しなくなって、その一致が人々にとって暴力的な強制的な経済法則になってしまう、ここに、恐慌現象の抽象的な形がすでにあるわけです。「流通は生産物交換の時間的、場所的、個人的制限を破るのであるが、それは、まさに、生産物交換のうちに存する、自分の労働生産物を交換のために引き渡すことと、それとひきかえに他人の労働生産物を受け取ることとの直接的同一性を、流通が売りと買いとの対立に分裂させるということによってである。独立して相対する諸過程が一つの内的な統一をなしていることは、同様にまた、これらの過程の内的な統一が外的な諸対立において運動するということをも意味している。互いに補いあっているために内的には独立していないものの外的な独立化が、ある点まで進めば、統一は暴カ的に貫かれる―恐慌というものによって」(『資本論』第1部、大月書店、S.127-128)。本来一体であるものが通過する暴力的な快復過程が恐慌です。

マネーゲームでいう貨幣は、生産物のなかだちをする単純な貨幣ではなく、はやい話が、投機によって儲けるための貨幣であり、貸付の証書に値段が付けられてそれが膨張しているようなもの。破綻は最初から予定されてます。

今回の金融危機でサミュエルソンが活発に発言してました。健在だったんですね。歴史上の人物かと思ってました。

「(経済危機の行方 世界は)規制緩和と金融工学」(『朝日新聞』2008年10月25日朝刊、3面)。

「大恐慌以来、最悪の危機」であり、「規制緩和をやりすぎた資本主義」の「メルトダウン」と評し、「金融工学のモンスター」が「危機を深刻化させた」と述べています。ブッシュの「億万長者に対して優しい政治」によって「米国の人々の生活は厳しさを増した」とレーガン=ブッシュ路線を強く批判する姿勢にアメリカ民主主義の迫力を感じます。

それ自体としてはばらばらの生産過程や消費過程を、人々の生活を向上するように結びつけるのが金融に期待される役割でしょうから、金融をどう公共的に政策的に制御していくのかが問われるにもかかわらず、社会のお金を「山師」が投機に用いるエゴのテクノロジーにゆだねられていたことが危機を拡大したといえます。破綻がおきてから金融国際協調がそれ自体は迅速に行われたのではありますが。

You TubeでSamuelsonと検索したら、いくつか引っかかりました。

http://www.youtube.com/watch?v=zCudGmRIsfk

蝶ネクタイがすてきです。隣に座ってるのはソローでしょうか。
by kamiyam_y | 2009-09-23 12:44 | 民主主義と日本社会 | Trackback | Comments(0)
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