さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

公共性の分裂:道警・フジ・ライブドア

道警への確認監査やり直し 3月中の取りまとめ延期 :共同通信03月18日 17時25分

裏金問題、道警が虚偽文書を強要 複数の現職警官に 監査妨害か :北海道新聞2005/03/18(金)

 道警による補足調査の過程で、受け取ってもいないのに旅費を受け取ったとするウソの文書にサインするよう道警が現職警察官に強要していたそうだ。もしほんとうなら文書偽造、公金横領、立派な犯罪行為。

 《組織》が犯罪主体として立ちあらわれるのは、オウムや、企業犯罪だけではない。警察もそうなのだ。個人を抑圧する権力を解体するという近代の課題が現代の課題としてあらわれている。戦前の警察や江戸時代の代官やら奉行とはちがって、いちおう今の警察は民主国家の民主警察というタテマエにある。だからこそ、この権力を諸個人に開くことが現実の課題であり続けている。

 「およそ官庁という公費を扱う組織はみな同じである」「仮に一度でも偽造領収書を作成したり、ヤミ手当的に裏金の分配を受けたりしたことのある者を全員事件として立脚したら、警視庁職員の大半が逮捕されてしまう」(大内顕『警視庁裏ガネ担当』講談社、2002年)。

 単なる警察トップのモラルの問題ではない。モラルを堕落させる組織のありようが問題なのである。また、警察だけではなく、公金吸収・利権吸収システムは日本村の公権力のさまざまな部分につくられている。警察はその非公開性において別格だが、日本の社会のもつある負の遺産を象徴している。
 道警の裏金問題は、北海道新聞がじつによく調べたと感心する。

「道新--……警察の場合、一握りの高級幹部のみが美味しい思いをして、そのために圧倒的多数の警察官や警察職員に、書類偽造などをさせています。これら『上納』と『私的流用』の構造を明確に表に出さない限り、警察の改革はありえません」(北海道新聞取材班・大谷昭弘・宮崎学『警察幹部を逮捕せよ』旬報社、2004年。

 『世界』3月号特集「警察はどうなってしまったのか」では、元道警の原田宏二さんへのインタビューや、道新の佐藤一さんの「警察といかに向き合うか」と犯罪学者浜井浩一による「『治安悪化』と刑事政策の転換」といった興味深い論考が寄せられている。浜井の議論では、暴力によって殺害された者が長期的には減少傾向にあること、暴力によって殺害された児童も減少していること、暴力犯罪認知件数の増加が被害の増加ではなく通報率の上昇によることなどが論じられている。不安感と信仰に依存した警察権力の増大に対して冷静な議論をしなければならないことをあらためて確認した。

道警問題では、そのほか、自殺者まで出した道警警部による覚醒剤・拳銃事件である稲葉事件のルポも参考になる。曽我部司『北海道警察の冷たい夏』 講談社文庫 。織川隆『北海道警察 日本で一番悪い奴ら』 講談社。

 警察報道に頼っているためか裏金問題に消極的な全国紙とは対照的な道新の取材をみると、フジ・サンケイグループとライブドアとの株式争奪戦のなかで主張されるメディアの公共性なるものもそらぞらしくきこえなくもない。
 日刊サッポロ3月19日号からの孫引きで申し訳ないが、『アエラ』2月21日号ではホリエモンはこういっているという。「『新しい教科書』をつくったりしても世の中変わりませんよ」「あのグループのオピニオンは異色でしょ。……もっと芸能エンタメ系を強化した方がいい。ボクだったら……ボクら世代の愛読誌である……『SPA !』。そういうのを合わせてエンタメ系の強力な新聞・出版社にしたい」。

 団塊の世代や新人類・オタク世代、アエラ読者を意識して発言しているのかもしれない。フジ・サンケイグループの国粋主義的で対米追随的なオピニオン部門がホリエモンはきらいなようだ。

ホリエモンに対する批判として、「外資によってメディアが支配されるのは好ましくない」「メディアは公共的なものだからカネの力で支配されてはならない」「ホリエモンは巨額の不労所得を右から左に流してそこから富を得る賭博師である」「フジを買う大金はもっとほんとうに困っている人たちのために使うべきだ」「ホリエモンはラジオもテレビも好きではないし、理念もない。こんな奴に愛すべきメディアをわたしたくない」「ホリエモンが放送局を指揮できるわけない」「ホリエモンは金の亡者で下品である」「外資に乗っ取られたらフジ・サンケイグループの社員もリストラでやる気が失せつまらん番組が増える」「合法的だとしても倫理が欠如している」「経済といっても人間の世界なのだからカネだけでうまくいくわけない。人の気持ちを無視してはいけない。取引っていうのは人間関係が大事なんだ」といった主張がある。ライブドアが乗っ取るとニッポン放送の企業価値が下がるという森本卓郎の主張もわかる気がする。

 カネをもつ自由と生産の世界とが、あるいは交換価値の抽象的な請求権の市場と局地的な共同的なものとが、個人と組織とが、伝統と野蛮とが、シャッフルされることで熱を得ているのが近代だとイメージすれば、こういう一筋にまとまらない文脈で事件がおきている以上、人々の反応もぶつかりあう泡沫のように多様だ。そしてこうした批判には十分な正当性があるといってよい。
 定着した企業体は、顧客や地域、従業員や取引先、その他さまざまのプレーヤーのエネルギーを集めていく装置として安定的に作用しているのだから、突然外から金の力で大きな転換を強要されたらそれは大変な話だ。ものすごい不安を招くだろう。

 今朝テレビをつけたら、爆笑問題が司会してる「サンジャポ」で、デーブ・スペクターが、LBOは企業が築いた文化を破壊する、アメリカでは非倫理的と批判されている、自分は株主でもあるが、株主のためというのは働かない者のためということだ、株でもうけようとするのは働かないで稼ごうとすることだ、最低だ、社会の寄生虫だ、という趣旨を熱く語っていた(先週も堀江批判に回っていたっけ)。マネーゲームが崇拝される風潮に腹を立てているのかもしれない。これは単に株式投資に対する倫理的批判というよりは、株式会社というシステムそのものが示す資本主義の亀裂である。マルクスが、【株式には剰余価値が裸になって示されている】ということを述べたのも、この亀裂を指している。

 しかしここでもう少し反対の方向から考えてみよう。
 ホリエモンに支配されることが可能なら、すでに誰かが支配しているのである。あるいは、カネの力で支配されてはならないのなら、フジ・サンケイグループはもともとカネの力で財界の肝いりでつくられたんじゃないのか。
 誰が支配しようとも、むしろメディアの複合的な独占体の存在自体が問題なのではないか。
 経済を攪乱するようなマネーゲームを批判する意識は重要である。しかし、マネーゲームとは資金配分につきものであり、そもそも産業自体がマネーの増殖という原理によってたてられているのが資本主義である。

 とすれば、ホリエモン的行動は資本主義そのものではないのか。資本主義の日本的共同体的な形成体に対して、もっと資本主義へ。これがホリエモンの行動であり、私たちに示しているものではないのか。もっと資本主義へ。これが私たちに多くのことを考えさせる。それはけっして、White Knightだの、Pac Manだの、Crown Jewel売却だの支配権争奪・企業防衛のへんてこりんな言葉の数々がお茶の間にながれこんでいることだけではない。

 ホリエモンという存在は、単に会社乗っ取りの方法論や、法律論や、メディアの公共性に光を当ててるだけではない。ホリエモンの行動は本人の意識とは別に、いわば逆説的に、企業の連続体のうちに存在する人々の公共的な富を自覚させてしまう。どう公共的なルールを構築するのか。会社は誰のものか。会社はモノであるけど、モノではない。会社は株主のものか。会社の連続体のうちにあるのは、社会的労働の結晶という人々の生活基盤だ。古くて新しいが、本質的で、巨大な問題が、ホリエモン騒動のなかみではないか。

 労働者の生みだした富の請求権が、彼等の預かることのできない圏域で再分配されている。だれが会社の持主になろうとも誰かがなれば確実に労働者は搾取される。だからといってホリエモンがフジを乗っ取ったならましになるという保証など全くないが。

 ホリエモンを巨大組織に戦いを挑む個人とみなす物語には、ホリエモンは果たして巨大組織ではないのか、大企業体制のなかで呼吸しベンチャーしているのではないのか、冷静に考えてみる必要がある。逆に、市場整備の官庁の責任や、これまでも株式持ち合いによる企業集団経営を問わずに、「ネクタイしないガキが生意気な」という反応は、事の本質を結局は人の好き嫌いの問題に解消し、共同体的なシステムの解体過程から目を背けさせるだけだろう。
 政府の広告を無批判に垂れ流すメディア独占体と、カネを基準に動く外国金融資本とどちらが日本社会にとってより好ましいのだろうか。自由な言論にとって、働く人々にとってどちらがましなんだろうか。いささか大ざっぱすぎる問いの立て方ではあるけど。
 もしフジとライブドアがともに一般大衆に向かって「俺たちのほうにに金を貸してくれ」と頼むのなら、どうするだろう。どっちのプレゼンが魅力的だろうか。フジテレビはすでにわかっている。ライブドアは未知である。たぶん私はライブドアだろうな。特異なイデオロギーをふりまく部分を切って捨て「SPA!」を強化する路線のほうに一票を投じてみたいからだ。排外主義的な共同体幻想(国家主義)よりカネの亡者(?)のほうが進歩的だからだ。これまた大ざっぱな対比だけど。フジ・サンケイグループ全体が国粋主義なわけじゃないですからね。

そういえば、堀江氏の『100億稼ぐ仕事術』(ソフトバンクパブリッシング)買って読んだんだが、今手元にないんで触れられないけど、これ2003年の出版なんですね。

 それからメディアの公共性というなら、「人権擁護法案」におけるメディア規制の危険性や、憲法問題のほうが大きいでしょう。
竹山徹朗氏のメールマガジン「PUBLICITY」(パブリシティー) (登録申込先:http://www.emaga.com/info/7777.html、E-mail:freespeech21@yahoo.co.jp、blog:http://takeyama.jugem.cc/)1122号がつぎのように言うとおり、堀江騒動も重大事から関心をそらす機能を果たしている。

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それは、お察しのとおり、この買収合戦報道によって、たとえば「憲法改正国民投票法案」(今国会提出予定。日本ペンクラブが白紙撤回を求める声明を発表)のトンデモぶりも、NHKに対する政治圧力の問題(NHKの予算成立前だったから、その点で、やっぱり圧力がかかったとみるべきだろう)も、内部告発の価値も、“結果的に”不問に付されてしまうことだ。
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 以下は一週間くらい前に書いたメモを「ですます」調になおしたもの。とりあえず出しときます。細かい具体的な話はいろいろネットで見てください。ここでは抽象的に見えても、【意味】だけ思考実験してます。

ライブドアという拡大鏡1:物神崇拝

 やんごとなきことあって先週実家によったらば、ばあさんがライブドア堀江社長のことを口を極めて蔑み、ののしっておりました。フジテレビとライブドアによるニッポン放送株争奪戦もばあさんの話題にまでなっているようです。NHKに対する政治介入より、こっちのほうが面白いらしい。なんだかなあ。堀江社長の自信過剰ぶりに通俗さ、人間理解の浅さを感じるのはいいけどさ。

 まあ、ホリエモンという個性を取りはらって冷静に事態をみれば、彼もシステムのなかを泳ぐ一個人にすぎないことがわかります。

 「カネで買えないものはない」という思想を仮にですけど、ホリエモン的な思想とすれば、また仮にですが、ともかくカネの力で事業を買い取ってもうけようとする行動を、敵対的M&Aを平気で行う行動をホリエモン的行動とすれば、それって、資本主義社会のなかでどこにでもころがっているものでしょう。
 あるいは、金儲けを、個人の才能と努力の産物と思いこむのも資本主義のなかにはびこっているただのオカルト。こんなオカルトを唾棄するために経済学はあるんですよ。ホリエモンとは単に資本主義というシステムをマンガにして見せている人格なんです。いいじゃないですか、単純で。
 自分の行動のいやな部分を拡大してくれている存在に、人は嫌悪感を感じるようですが、自分もホリエモンも、そしてフジの日枝ださんも、同じ精神を呼吸している我々の連続体なんですよ。この連続体のうちの一人の個人の現実性が実在するんですよ。

 どんなにカネが嫌いで愛を叫ぶ人でも、ある限定された局面では、ホリエモン同様「カネがすべて」という物神崇拝(『資本論』第1章)的なふるまいをせざるをえません。
 また同様に、ホリエモンとて、カネですべてが買えるという思想を貫き通すことなんてありえません。彼は、先々週だかの『週刊ポスト』のインタビューで「一日八時間は寝る、うまいもの食って寝たいだけ寝なければ何のために生きてるかわからない」という趣旨のことを語ってました。とてもいい発言だと思いますが、これってカネの自己目的化の否定でしょう。「信じられるのはカネだけ」とおもっている多くの人々だって、結局カネというかたちの「社会関係」を信じているわけですし。

 もちろん、物づくりではなく、他人のカネを右から左に流してカネを太らすやりかたを「不労所得」的なものとして批判する意識も正当です。しかし、これは別に堀江に独自なふるまいでは全くない。

ライドドアという拡大鏡2:企業体を社会がどうてなづけるのか

システムの深刻な亀裂

 所有者が自分のカネで労働者を雇って自分で監督やらカネ勘定やら判子押しやらの労働をするよりか、所有者たちのカネを一カ所に集中して、専門的な経営労働者に任せてそれを増やさせる方が、資本主義の競争のなかでは強い。だから、株式会社というのが定着するわけです。株主と経営者という二階級制によって「交換価値」の自己肥大化(資本蓄積)をうながすわけですな。
 株式会社は民間のなかの近代民主国家みたいなもんでした。理想としては、株主が集まる株主総会は、最高の機関としての国会。国会が「経営者」を選びます。株主は、利潤を自分たちのものとして分け合う権利と、この国会で議決する権利をもちます。
 でも株主は所詮は浮気者。会社の存続にとっては入れ替わってもよい存在です。ですから、彼等のもつ権利の証書、つまり株券が、売り買いされることになります。

 で、株主民主主義という理想を守れる人はあんまりいません。株式が投機の対象となり(つまり会社が売買される商品となり)、株主の議決権が、経営者が自分を続投させるための道具や、会社が会社をコントロールするための道具、合併吸収のための道具、でしかなくなってしまう、これが現実です。競争のなかでは株主はいらない、こうなります。特に日本では株主なんて、従業員は意識しません。アメリカだって個人の株主資本主義なんて叫んでますけど、株主民主主義なんて理想実在してるわけじゃないです。だからこそSECの監視も厳しく、企業の社会的責任論が強調されてるんですからね。
 まあ、今の国会と内閣・官僚の関係と同じですよね。私たちの一票ではなく、貨幣の権力が、執行権力が偉くなっちゃうんですから。下僕のはずの人たちが何であんな偉そうに広告してるんでしょうかね。
 株主民主主義は企業に対する歯止めです。

 でも同時に、株主のものという関係性は、経済は諸個人の公共性だという実態を画面上から消そうとする権力です。
 株主主権とはだれもがウソとわかっている虚構です。じっさいは、これまた虚構めいて聞えますけど、会社という関係性が生きた人間を支配する物象化された世界です。この歪みのなかに、働く人たちが交換価値の蓄積というかたちで、労働の社会的呼吸体を発展させています。株式会社の死に体のうちに、マルクスは未来の種を発見したといってもいい。

 会社経済では、公共権力が事実上存在している。しかし、そのくせ、これは、市民一人一人のコントロールが及ばない。公共権力が経営者権力というすがたをとっている。法律も株主の力も及ばないなら、経営者の「倫理」がこの公共性を制御するキーワードだ。まあ、今背後にある文脈はこんなかんじです。

フジテレビという権力

 で、堀江氏がニッポン放送という会社を買ってフジテレビまで傘下におさめようとするのも、株主の権利を道具として使っているわけです。しかしこのことが同時に、株主一人一人をかけがえのないものと考える土俵の崩壊でもあるんです。細かい話は解説がいくらでもありますから省略しますが、たとえば、ライブドアに資金を用意したリーマン・ブラザーズは、ライブドアの株価が下がるほど得します。ライブドアの一般株主には困ったことですね。

 もちろん、ニッポン放送がフジテレビを引受先に新株予約権を大量に発行するというフジテレビ側の奇襲は無限に経営者権力の保身のための手段です。司法の判断は妥当です。フジには外資と闘う使命があるのかな。さすが国家主義。
 ライブドアを排除するためだけの「発行済み株式2.4倍化」なんて、いくら自民党がフジを応援したとしても、司法が認めるとは考えにくい。経営者の自己保身のための株式発行を許すなんて、世界資本主義のスタンダードからはずれますからね。
 一般株主は訴訟という手もあるけれど、やっぱり迫害され続けるといっていい。少数株主の権利が尊重されていないこの点を問題視しているのは、日経新聞2月27日「経済解説」の末村篤「『裏技』欧州の買収合戦」。
 笑えるのは、『週刊プレイボーイ』3月15日号に「ホリエモンを総理大臣に」という記事。「政官財をあげての」「ホリエモン包囲網」に対して堀江を擁護し、「ホリエモン叩き」の1つ1つの論拠に反論しています。堀江に批判的な論調としては『週刊ポスト』3月25日号「堀江vs日枝『疑惑の土俵際』」が面白かった。『週刊ポスト』3月11日号で高木勝が「株主の平等性、公平性に反する」とこのニッポン放送の乗っ取り防止策を批判しているのも当然のことと思いました。

ライドドアという拡大鏡3:企業の公共性

公共性の分裂

 フジテレビがそんなに公共的な存在だったとは知らなかったという人も多いでしょう。若造がメディアを支配するのかとこわがるのなら、もともと誰かが支配していたというほかはなく、フジテレビが公共的だというなら、ライブドアが大株主になったって公共的なのです。問題は公共性のあり方でしょう。そのうえで、ライブドアが支配株主になると非公共化されるのかですけど。私が考えたってまあ勝手に進行しちゃうんですけど。

 グループ(経営者権力)維持のためのタテマエとして働くフジテレビの公共性なるものと、メディアという公共物を投機家に握らせ、外資に握らせるかもしれない市場の公共性とを比べてみましょう。フジの公共性には建前だけじゃない実質が確かにあります。それはしかし、ライブドアが支配すると消失するものなのかはわかりません。
 グローバル市場に開かれている分だけ、ライブドアの行動の方が愚かしくもまた進歩的にみえるのですが、どうでしょうか。進歩というのは現実の悲惨をさらけだしてしまうことで私たちに考えさせるという皮肉な意味も込めて言ってますけど。
 こんな週刊誌ネタも、レーニンが述べたようにギャンブラーを利するまでに社会的労働の果実がもたらされている事態そのもの、進歩という悲喜劇そのものではないか、と感じた次第です。

企業の社会的責任

 共同通信によるインタビュー(2月28日)によれば(北海道新聞3月1日)堀江はこう語っています、「投資家にとって邪道かどうかは関係ない。ずるいと言われても合法だったら許される。倫理観は時代で変わるから……」と。

 さっき述べた経営者権力という権力を倫理観で規制する限界をついているとおもいます。倫理は実態をかくす隠れ蓑にもなります。「企業統治」のありかたを企業が自ら問い、企業の自主ルールが、いわば従うべき標準となっていく流れは、確かに進歩ですが、法律的規制をいわば避けるというその空洞に、堀江氏は入っていくわけです。
 「倫理」に対しては堀江氏的な利己主義も、資本主義の正常な分泌物です。個人の利己心を保障しながらそれを社会的に有効にするのが、倫理より市場、そして法律だとするならば、ともかく合法ならいい、制度設計は自分の仕事ではない、自分は金儲けするだけだ、金儲けが市場によって社会的に有意義になるんだ、という主張は1つの権利でしょう。もちろんこの主張だけでは完結しないのが現代であり、この主張では企業の実質的に公共的なルールづくりができないのが現代です。金銭的インセンティブでうごく受動的な個人で終わらないのが現代だし、社会に対して積極的に権利主体として関わる個人へと個人を鍛える必要があるのが現代だからです。
by kamiyam_y | 2005-03-20 19:46 | 自由な個人の権利と国家 | Trackback(4) | Comments(2)
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Commented by masayuki_100 at 2005-04-09 15:32
高田と申します。ごく最近、こちらのブログの存在に気づきました。なかなか刺激があって、おもしろいなあと。過去記事も順々に読ませてもらっています。。。TBもさせてもらいました。よろしくお願いします。
Commented by kamiyam_y at 2005-04-11 00:45
高田さん、はじめまして。つたない記事にTBありがとうございます。メディアによる被害者バッシングや基準を欠いた興味本位の記事づくり、警察の目線による報道、メディア規制という問題も、警察の権限の恣意的な運用という問題も、同根の大問題ですね。警察の行動はまさに「国民の付託」、一人一人の個人に由来するのであって、その「恣意的・裁量的」運用に対して国民が無批判であってはならないと強く感じています。ジャーナリズム、警察裏金、戦争と平和といったテーマをめぐる高田さんの論考、これからしっかり読ませていただきます。こちらこそよろしくお願いします。