さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

「国民投票運動」って?

憲法改正国民投票法案をよむと、政府の意図に反するような批判的な議論をメディアにさせないメディア規制が目的のようにおもえます。憲法に関して議論をしないで改正しようというところまでねらっているのでしょうか。

憲法改正国民投票法案の白紙撤回を求める日本ペンクラブ声明

法案では、「国民投票運動」という言葉をつかって、これを押さえる条文がならんでいます。ペンクラブ声明は、「実際の運用では、自己の見解の発表や、世論調査・予測報道や意見広告の規制など、曖昧な文言によって過度に広汎な規制が及ぶ危険性を否定できない」とのべ、端的に「露骨な批判封じ込め策」と呼んでいます。

憲法を議論するのに、「表現の自由」を最大限規制するなんて正反対でしょう。そもそも表現の自由という憲法の最大の理念が、さまざまに抑圧されているじゃないですか。そう言う抑圧って、たとえば青少年保護や、家族を守れ、街を清潔にしてスカウトマンや浮浪者を追い出せ、という主張の裏で警察の戦略として身近に浸透しているのです。そうおもうことないですか。個人が社会の主体であり、権力の正当性は個人にのみ由来する、個人に先行する共同体=権力を認めない、というのが近代の大理念。これを理解しない憲法改正論が出されてますが、この法案もこれにパラレルなもんでしょう。

日弁連意見書Subject: 05-02-18憲法改正国民投票法案に関する意見書

情報促進流通計画に法案アップされています。

姜尚中「時代錯誤の憲法改定『自民案』を解読する」(『月刊現代』5月号)も言っているが、憲法前文を、日本の文化・伝統を盛り込んだものに全面改定しようとするのは、「立憲主義を無視した議論」である。文化や伝統といった「道徳」から、国家権力を切り離したのが、近代の大原則。社会のシンプルな説明原理が、個人を原点とする主権在民であって、これは「虚構」であるがゆえに正統性根拠はこれ以外ないという絶対的な契約なのだ。

人権擁護法案の再提出に反対する声明(日本ジャーナリスト会議2005年3月12日)
by kamiyam_y | 2005-04-03 00:21 | 自由な個人の権利と国家